「心の奥に隠していた自分と繋がる」マインドフルネスワークショップ|講師のあとがき
- 2025年8月3日
- 読了時間: 7分

1. 走りながら、どこに向かっているのだろう
30代や40代という時期は、人生の中で最も「役割」が増えていく時期かもしれない。職場で責任のある立場を任されたり、家庭ができて、守るべきものが増えたり。目の前にある「やるべきこと」をこなし、誰かの期待に応え続ける。
でも、何か問題があるわけでもない、むしろうまくいっているはずなのに、ふとした瞬間に足元がぐらつくことがある。夜、スマートフォンの画面を閉じた一瞬の静寂や、週末の朝にコーヒーを淹れている数分間の隙間に、底のない虚無感のような問いが滑り込んでくる。
「私は本当は、何がしたかったんだっけ」
「やりたいことが、見つからない」
「自分らしさって、なんだっけ」
自分の本音が霧の向こうに隠れてしまっているような感覚。
そんな静かな戸惑いを胸に秘めた人たちが3時間のマインドフルネスワークショップに集った。
場所は、代々木八幡の閑静な住宅地にある「Anitya(アニティヤ)」さん。石田さんが主催するアーユルヴェーダのサロン。
2. 身体の強張りと、心の迷子がつながるとき
このワークショップは、その石田さんの相談から始まった。
「毎日、たくさんのお客様に触れていると、何か始めたいって思ってても、なかなか始められないでいる人が結構いるなって思うんです。身体の奥深くが強張っていて、自分の本音がわからなくなっているような。私は、身体は緩めてあげられるんだけど、心は専門じゃないから。亜己さん、こういう人たちのために、何か優しく背中を押してあげるようなワークショップできませんか?」
石田さんがサロンのベッドの上で日々受け止めているその感覚は、私が普段、東京・広尾のStudio Mindflowで出会うビジネスパーソンの方々が抱えるものと同じだなと感じた。
周囲の期待に応えようとがんばるほど、外側の音量は大きくなり、自分の声は聞こえなくなる。答えは本人の中にしかないから、私にできることは、ただ、外側の音を少しだけミュートにして、自分の中の微かな声に「気づくためのきっかけ」を作ること。でもその小さな気づきこそが、人が自分軸を取り戻すプロセスの、何よりも大きな起点になる。
3. クローゼットの奥に押し込んだ、いくつかの自分
集まってくださった参加者の方々は、まさにそんな「日々のランナー」たちだった。
「やりたいことが見つからない」
「新しい一歩がなかなか踏み出せない」
「気づけば他人の期待ばかりを背負って生きている」
「このままでいいのか、わからない」
誰もが自立した、素敵な大人たちだ。しかし、彼女たちの内側では、何かがずっと見えにくくなっているみたいだった。
今回のワークで私が最も大切にしたのは、「自分の中には、名前のつかない多様な自分が同居している」という視点。私たち人間は、単一のキャラクターでできているわけではない。
「いつも前向きでがんばり屋の自分」がいる一方で、「すべてを投げ出して甘えたい自分」もいる。「強く、論理的でありたい自分」の裏には、「傷つきやすく、ただ休みたい自分」が静かに座っている。
どれかが「本物の私」で、どれかが「偽物の私」というわけではない。矛盾するすべての声が、同じ一つの身体の中に確かに存在している。
けれど、私たちは大人になり、社会に適応していく過程で、あるルールを自分に課してしまう。
「甘える自分は、周りに迷惑をかけるから出しちゃダメ」
「泣き言を言う自分は、プロフェッショナルじゃないから隠しておこう」
そうやって、いくつかの自分を「不都合なもの」として心のクローゼットの奥に押し込み、鍵をかけてしまう。
長い間閉じ込められたままの声は、やがて小さくなり、自分自身でも聞こえなくなっていく。
これが、「自分らしさがわからない」「自分が何者かわからない」という感覚の正体なのだと思う。
4. 隠していた自分と、外の世界で待ち合わせる
ワークショップでは、静寂の中で、ペンを動かしながらその「クローゼットの奥の住人」たちに会いに行く作業を行った。ドラマチックな演出は何もない。ただ、自分の内側に意識を向け、そこにいる声に耳を傾け、ノートに書き出していく。
少しずつ、その「隠してきた自分」と言葉を交わしていくと、参加者の方々の表情に、ふとした変化が訪れる。
「私、どうしてこの子をこんなに長い間、無視し続けてきたんだろう」
ずっと「出しちゃいけない、恥ずかしい存在」だと思い込んでいた自分が、実は今の自分が一番必要としている、頼もしいパートナーだと気づく瞬間である。
そしてワークの後半に、少しの勇気を出して、その「隠してきた自分」を伴って、あえて外の世界へと足を踏み出してみる(他者に共有してみる)というプロセスを踏んだ。
最初は誰だって怖い。「こんな自分を見せたら、嫌われるんじゃないか」「引かれるんじゃないか」と不安がよぎる。けれど、思い切ってその自分を表現してみたとき、そこに待っていたのは拒絶ではなく、場全体が丸ごと受け止めてくれる、静かで温かい受容の空気だった。 「出してみても、大丈夫だった」という確かな体感覚こそが、今回のワークの核心になった。
5. 涙の理由と、静かなセルフコンパッション
ワークの終盤、全員でそれぞれの気づきをシェアする時間をとった。
静かに涙を流される方が何人もいらっしゃった。それは、悲しみや苦しみにくれた涙ではなく、張り詰めていた糸が、溶けていくような、安堵の涙のようだった。
ずっと頑張ってきた自分に、ようやく自分が気づいてあげられたことへの涙。押し殺してきた自分に対して、「これからは一緒にいようね」と、自分で許可を出せた瞬間の涙だったと思う。
参加された方々がぽつりぽつりと紡ぎ出した言葉が、今も耳に残っている。
「いままで頑張りすぎていた自分の存在に気づいて、勝手に涙が溢れてきました」
「押し殺していた自分を見つけて、これからはもっと、自分が自分を大切にしてあげようと思えました」
「飾らない自分のままで誰かに受け止めてもらうことが、こんなに嬉しいことだなんて知らなかった」
「この自分は絶対に人に見せちゃいけないと思って生きてきました。でも、出していいんだ、と心から思えました」
「いろんな自分がいていいんだ。それが全部、私なんだと思ったら、すごく楽になりました」
他人に認められること以上に、自分で自分を承認することの安心感は大きい。これはマインドフルネスの世界でセルフコンパッション(自分への慈しみ)と呼ばれるもので、近年は神経科学の分野でも、自律神経の働きを整え、心の回復力を高めることが知られている。
最後は、その新しく見つかった自分と共に過ごす、感謝とコンパッションの瞑想を行い、3時間のワークショップを締めくくった。
6. 答えを急がない、ということ
この3時間を経たからといって、明日から人生が180度変わり、「これが私の天職だ!」とか「これからはこう生きる!」といった明確な答えが、全員にバシッと出るわけではない。劇的なパラダイムシフトを約束する場でもない。
けれど、それでいいのだと思う。
大切なのは、すぐに答えを出すことではなく、ずっと無視し続けてきた自分の微かな声に、もう一度耳を澄ませるための「回路」を自分の中に開通させること。そして、その頼りないかもしれない自分を、ほんの少しだけ、愛おしく、大切に扱えるようになること。
それだけで、人の佇まいは変わる。心のトーンがほんの少し明るくなり、視野が広がり、明日の朝、何か新しいことを試してみたくなる。「変わりたいのに変われない」と感じていた人が、自然に一歩を踏み出したくなる。それが、自分軸が戻ってきたサインだと、私は思う。
このワークショップは、人生の正解を上から手渡す場所ではない。ただ、走り続けて迷子になってしまった人が、再び自分の足で一歩を踏み出すための、小さな、けれど確かなグラウンディングの場なのだと思う。
自分のことがよくわからなくなっている。自分らしさが見えにくくなっている。そんなふうに感じている人がいたら、どうかその焦りすらも一度脇に置いて、自分の内側に会いにいく時間を、自分自身にプレゼントしてあげてほしい。


